神無月のご縁
10月は、旧暦の読み方で「神無月(かんなづき、かみなしづき)」
神無月とついた理由の一つとして、次のような説が有名である。
日本各地の神様が出雲(島根県出雲大社)に会議をしに、各地から集まってくる。そのため、神様が不在になるからだということ。
また、受入側の出雲では、この月を「神在月(かみありづき)」と言う。
日本の神様たちの全国大会が年に一度出雲で行なわれているということだ。
ちなみに、全国大会の初日は旧暦の10月10日。
神々がわざわざ集まって行なう全国大会の議題は何か。
一体何のために集まるのか。
それは、主に人々の運命について話し合われているといわれ、特にその運命を大きく左右する縁結びについて話し合われているという。
出雲は男女の縁結びの神として有名になっているのはこういう理由からであるが、縁というのは男女だけではない。男女問わず、人との出会いによって、人生が変わることがままある。
神様が、全国を見晴らし、人々をチョイスする。赤い運命の糸を手分けして結んだりほどいたりしている姿をイメージすると、ひょんなことで縁が生まれるということは誰もが経験していることであろうから、その不思議な感覚を味わうことができる。
ここからさらに、イメージの世界に入っていく。
それでは、神々の縁結びの基準は何か。
その縁を神様は全くの気まぐれで、手当たり次第に結んでいるのであろうか。
それとも、ちゃんとした判断基準や法則をもとに糸と糸とを結んでいるのであろうか。
もし、そのようなことがあるとしたら、私は一定の法則に則っていると思う。
赤い糸が使われているのなら、その糸と糸から発せられる波動のようなものを手繰り寄せている。
その波動がその時点で合っていれば、結ぶ。
このような作業をしているのではないか。
出会いは偶然に任せず、自分で創るものと言われる。その通りである。
しかし、その出会いを活かせるかどうか、あるいは末永くよい関係であるかどうかは自分の知力・体力を超えた努力以上の何かがあるのではないか。あたかも神無月の神々が導くように。
その「何か」は、敢えて言えば電波や音波あるいは光の波形のようなものではないか。
振動数の特徴や圧力により電気という波を発する性質を持つクリスタル(水晶)を身につける人がいるが、それもその仮説に基づいているように思う。
周波数が合えば、音叉のように共鳴する。合わなければ共鳴しない。
このことは、人間関係でいうと、共感する、ということになろうか。
響きあう人が多いひとは、精神的に豊かな人である。
共鳴・共感の幅を広げるということは、感受性の幅を広げることであり、これこそが、感性価値経営における人材育成のポイントである。
今日から神無月。
多くの企業では下半期がスタートする。
今一度、共鳴・共感のご縁を大切にしていきたい。
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