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2009年11月29日 (日)

デフレ時代こそ、「志」

志という漢字は、心の上に士が乗っかっている。この士の文字は「足」とか「之」という意味と同じで、「進む」という意味であるという。
こころざしは「心指す」と同義。心中(しんちゅう)から発する将来の願望や希望である。

中国の漢書に次の記述がある。
『志合えば胡越(こえつ)も昆弟(こんてい)たり』
(意味)志が一致すれば、北にある胡の国の人と、南の越の国の人でも兄弟のように親しくなれる。

同じく後漢書にも次のようにある。
『「志ある者は事(こと)竟(つい)に成る』
(意味)志がある人は、ものごとは最後には成就するものだ。

また、同じく中国の陽明学の始祖王陽明の次のような言葉が残されている。
『志立たざれば、舵なき舟、銜(くつわ)なき馬の如し』
(意味)志がなければ、舵のない船、くつわのない馬のように、行き方が定まらない

このように昔から志(こころざし)の大切さを説いている。

陽明学の流れを汲む吉田松陰は志について次のような記述が残されている。

『志を立ててもって万事の源となる』
(意味)全てのものごとの生成発展の源は志を立てることからはじまる。

『己に真の志あれば、無志(むし=虫)はおのずから引き去る。恐るるにたりず』
(意味)自分自身に心から湧き上がる真の志、思い願うことがあれば、何かを成し遂げようとする思いのない、虫のような状態は自然となくなるものだ。志があれば、恐れることはない。

松陰が安政の大獄で亡くなる1年ほど前には、弟子たちに次のような詩を贈っている。

『立志尚特異 俗流與議難 不思身後業 且偸目前安 百年一瞬耳 君子勿素餐』

(読み)立志(りっし)は特異(とくい)を尚(とうと)ぶ 俗流(ぞくりゅう)は興(とも)に議し難(がた)し 身後の業(ごう)を思わず 且つ目前の安きを偸(ぬす)む 百年は一瞬のみ 君子(くんし)素餐(そさん)する勿(なか)れ

(意味)志を立てようとする者は、人と違ったことをすることを恐れてはならない。俗物や俗世間の意見や考えに惑わされてもいけない。自分が死んだ後の苦しみも思い煩うこともしてはならない。また、身近で短期的な安楽は一時のこととして、克服しなければならない。たとえ100年の歳月であろうとも、大儀の前では一瞬に過ぎない。敬愛する弟子たち諸君は時間を無駄にせず、いたずらに禄(給料や金品)を受けたり、成すこともしないで高い地位に安住しないでほしい。

会社の幹部や社員の志は同じであるか。
このようなデフレの時代こそ、志を同じくする人とともに仕事をしなければ効率が悪くなり、デフレの波を乗り切れない。

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