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2009年10月17日 (土)

FAIR(フェア)か?

会社や社会には様々な決まりごとがあるが、明文化された決まりごとは全てのケースに当てはめることはできない。
環境の変化に対応しようとすれば、過去のルールを速やかに変更しなければならないことも多々ある。

しかし、環境変化が著しい昨今、いちいちルールを決めていたのでは変化に対応できない。
そこで、第一の判断基準は「フェアかどうか」ということにある。

フェアは日本語では、公正、公平ということになる。
公正とは「公平で偏っていないこと」であり、公平とは「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが偏っていないこと」とされている。(いずれも大辞泉より引用)

この公正・公平という考え方は理論的には正しいものであるが、現実の運用としては様々な困難をもたらすものでもある。
その根源をルソーは「人間不平等起源論」で、「人間はもともと不平等なものである」と看破している。

しかし、現在は少なくとも建前として「フェアであること」が宗教や文化の違いを超えた国際的な判断基準となっている。

このフェアという考え方に関して、かつてそれぞれの国には類似する道徳・倫理基準があった。

例えば、「武士道」は新渡戸稲造が国際社会に参入する上で求められる日本のプリンシプル(主義・信条)を海外に発信するために英語で書かれたものだ。また、西洋においては、「騎士道」というものがある。それぞれ宗教的背景は違うが、基本的に権力や武力を持ったものがいかにそれを正しく使用するかという戒めや道徳、礼節を重んじる考え方が根底にある。

さて、現今のような環境の変化にあって、人事評価や給与基準、あるいは勤務体制を改定する企業も多くなっている。このような相談を受けるとき、「フェアであるか」ということを常に求めている。

組織運営上力を持った者、企業においては経営者や経営幹部自身がこれらの制度、特に人事に関する制度を考える上でフェアであるかどうかを再度確認していきたいものだ。

新しい人事制度は、基本的な原則、観点は何かを明確にすべきであるし、それが果たしてフェアな処遇であるかどうかを確認するとともに、その制度を制定する幹部もそのフェアな考え方に則っているかどうかを検証することが大事。

ややもすると、部下の給与だけ変更して、幹部の給与には言及しない、現状維持のままという場合も散見される。
このような場合、給与改定に与(あずか)る部下は「フェアでない」と感じ、どんなに練られた給与制度であっても崩壊の愚に堕してしまうおそれがある。

給与・処遇というデリケートな課題は、幹部自らが「自分たちはそれだけの処遇を受ける働きをしているか?」と自問し、矜持をもって率先して見直していくべきである。

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